世界最大のステーブルコイン発行体であるTetherを実質的に支配するジャンカルロ・デヴァシーニ(Giancarlo Devasini)が、2025年初頭にエルサルバドルの国籍を取得していたことが明らかになった。イタリアの週刊誌L'EspressoとICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)、フランス紙Le Mondeが共同で報じた調査報道によると、デヴァシーニとその妻に加え、CEO(最高経営責任者)のパオロ・アルドイーノや最高執行責任者を含む複数の幹部が同様に国籍を取得し、首都に高級不動産を購入したという。これは単なる富豪の個人的選択ではなく、ステーブルコインをめぐる国家間競争を映す地政学的な動きである。
TL;DR: デヴァシーニら複数のTether幹部が2025年初頭にエルサルバドル国籍を取得し、同社も法的拠点を同国へ移転した。時価総額約1,840億ドル(CoinGeckoデータ)のUSDTを擁するTetherの「本籍地」が変わることは、ステーブルコイン規制をめぐる国際的な力学に直結する。
調査報道が明らかにした事実
L'Espresso・ICIJ・Le Mondeの共同調査が示した核心は明確だ。デヴァシーニと妻は2025年初頭からエルサルバドル国民となり、Tether社も法的本拠をそこに移している。この国籍取得はデヴァシーニ夫妻に限らず、CEOのパオロ・アルドイーノや同社の業務執行幹部にも及んでいるという。調査は首都サンサルバドルでの高級不動産取得も記録しており、これが個々の判断の積み重ねではなく、組織的・計画的な移転であることをうかがわせる。
Tetherはすでに2025年1月、アルドイーノがX(旧Twitter)への投稿で「エルサルバドルに移転する。サンサルバドルにTetherタワーを建設する」と宣言していた。ナイブ・ブケレ大統領も同月、「Welcome home」とXに投稿して歓迎の意を示した。その後、アルドイーノは2025年6月26日のX投稿で「エルサルバドル向けTetherタワーの初期デザイン案を確認中」と報告している。国籍取得の調査報道は、この一連の流れの最終章として読める。
Tether is moving to El Salvador.
,Paolo Ardoino 🤖 (@paoloardoino) January 15, 2025
We will build our Tether Tower in San Salvador.
Many others will follow.
❤️🇸🇻 pic.twitter.com/fm19zUfydr
規模が見えてくる、数字の大きさ
この動きが持つ意味を理解するには、関与する人物と企業の規模を押さえる必要がある。Forbesの試算によると、デヴァシーニの資産は約890億ドルに上り、イタリア最大の富豪であるとともに世界有数の超富裕層に位置する。2026年初頭に米国の監督当局へ提出された書類によると、デヴァシーニはTetherの議決権の50%超を保有しており、同社の実質的な支配者となっている。
Welcome home 🇸🇻 https://t.co/bIYKKl84oN
,Nayib Bukele (@nayibbukele) January 13, 2025
Tether自体の収益力も桁外れだ。CoinGeckoのデータでは、USDTの時価総額は約1,840億ドル。2025年だけで約110億ドルの配当を分配したと同社は発表している。暗号資産市場のあらゆる取引を支える決済インフラを、これほどの規模でコントロールする人物が居住地と国籍を変えるとき、その影響は私的領域を大きく超える。
Tetherの権力地図
調査報道が示した構図。出典: L'Espresso、ICIJ、Forbes、2026年
- 人物: ジャンカルロ・デヴァシーニ(イタリア・トリノ出身)、推定資産約890億ドル、Tetherの議決権50%超(米当局提出書類より)。
- 動き: 本人・妻・複数幹部(CEOアルドイーノを含む)がエルサルバドル国籍を取得し、不動産も購入。
- 企業: Tetherはエルサルバドルに法的拠点を移転。USDTは約1,840億ドル、2025年配当は約110億ドル。
なぜエルサルバドルか、ステーブルコインの地政学
問いの核心はここにある。なぜエルサルバドルなのか。ナイブ・ブケレ大統領が率いるこの小国は、2021年にビットコインを世界で初めて法定通貨として採用し、暗号資産業界にとって最も友好的な規制環境を整えてきた。税制面でも複数の分析が優遇措置の存在を指摘しており、Tetherのような企業とその経営者が事業拠点を移す動機は十分にある。
欧州でしばしば見られる「疑いの眼差し」ではなく、自国の法制度でビジネスを積極的に受け入れる姿勢が、エルサルバドルの最大の武器だ。これは国家間の資本・人材獲得競争であり、エルサルバドルはその最前線に立つ。EUがMiCA(暗号資産市場規制)によって包括的な規制の枠組みを構築しようとしている一方、エルサルバドルは優遇によって業界を誘引する。規制か誘致か。この二つの戦略が同時進行しているのが、現在のステーブルコインをめぐる地政学的現実だ。
Reviewing the first design pitch for the Tether Tower for El Salvador 🇸🇻👀
,Paolo Ardoino 🤖 (@paoloardoino) June 26, 2025
日本のFSAとJVCEAの視点から
言い換えると、日本の投資家や規制当局にとって、この動きはどのような意味を持つのか。金融庁(FSA)と日本暗号資産取引業協会(JVCEA)は、ステーブルコイン発行体に対して厳格な規制を課しており、2023年施行の改正資金決済法のもとでUSDTのような外国発行ステーブルコインの国内流通には制約が設けられている。Tetherが法的拠点をエルサルバドルに移したことで、日本の規制当局がUSDTを管轄するカウンターパートはさらに不明確になる可能性がある。
国内の暗号資産取引所であるbitFlyerやCoincheck、SBI VCトレードはいずれもFSAの登録を受けており、扱う資産の発行体の所在地情報を適切に把握する義務を負う。Tetherの「本籍地」がエルサルバドルになったという事実は、実務上の確認作業を複雑にしうる要因だ。雑所得として総合課税される暗号資産の税務申告を行う日本の個人投資家にとっても、USDTを発行する主体の法的透明性は無縁ではない。
富の移動性と国家主権
デヴァシーニはトリノで生まれ。ミラノで医学の学位を取得し、スイスのルガーノで長年生活した後、今度はエルサルバドルへ軸足を移した。この軌跡は、暗号資産によって生み出された富がいかに国境を越えて自由に動けるかを示している。伝統的な製造業や不動産といった「土地に根ざした資産」とは根本的に異なる性質だ。
ステーブルコインは本質的にグローバルであり、特定の国家主権に縛られることを拒む性質を持つ。その発行体の経営陣が最も都合のよい法域を選んで移動できるとすれば、これは租税主権や金融規制の実効性に対する根本的な問いを提起する。イタリアにとって。国内最大の富豪が生活と事業の重心を地球の裏側に移したことは、デジタル時代における課税の難しさを改めて浮き彫りにする出来事だ。
ステーブルコインの権力と、その行方
言い換えると、デヴァシーニとエルサルバドルをめぐる一連の動きは。単なる富豪の奇行ではない。ステーブルコインがすでに「技術」や「価格」の問題を超え。通貨主権と金融安定に直結する政治経済的課題になったことの証左だ。発行体がどこに籍を置き、誰が支配し、どの法律のもとで動くのか。これらの問いは、各国の金融当局が無視できないテーマとなっている。
次に注目すべき動きは二つある。一つは、エルサルバドルを拠点としたTetherが、米国のGENIUS法など各国で進むステーブルコイン規制にどう対応するかだ。もう一つは、FSAを含む主要国の金融規制当局が、エルサルバドルを本拠とする発行体への監督権限をどのように行使するかである。Tetherは世界の暗号資産市場の決済インフラを担う。その「住所」が変わったという事実を、規制当局も市場参加者も軽視することはできない。



